ドリログ
ドリンクブログ、略してドリログ!! ここでは緑茶から紅茶、コーヒー、お酒、カクテルまで画像付きで紹介していきます。
若草 by 彩雲堂
- 2025/08/09 (Sat)
- お茶うけ (和) |
- CM(0) |
- Edit |
- ▲Top
こちらも山陰旅行のお土産より。
松江にはマンホールカード貰うためだけに少しだけ立ち寄ったので観光はほとんどしてないのですが、松江と言えばかつて茶道を習っていた私からすると、不昧公お膝元でお茶が有名な場所ですよね。
松江城下ではとにかくなんでも「不昧公お好み」と書いておけば売れるという・・・(笑)。
※不昧公とは松江藩7代藩主松平治郷のこと。大名茶人として有名。風流人。
そして不昧公三大名菓という特に彼お好みの菓子があったらしく、それが「菜種の里」「若草」「山川」というものだそうです。
その中でもたぶん一番有名なのが若草。土産物店にもいろんな和菓子店の若草を見ました。
どこの店のものが最も格式あるのかとか調べる余裕もなく、なんなら松江でもなく出雲の駅ナカ物産展で、帰路に就く直前にせっかくだからやっぱり買っておこうと適当に選んだのがこちら。(失礼)
彩雲堂さんのものです。
若草がどんな菓子かよく知らないまま、実家で実食。
鮮やかな緑が美しい、四角い棒状のものというのはどこの土産物屋で売られていたものでも一致していて、でも中身の想像が出来ませんでした。
食べてみると驚き、中はかなり柔らかめの求肥でふんわりもっちりで食べやすい!
外側の緑色のボソボソは着色した寒梅粉らしく、食感の対比も良いです。
甘さもちょうどよく、とても美味しかった!
でも娘二人はあまり好きではないようで、一口食べてもう要らないと言いました(笑)。
後から調べてみると、この彩雲堂さんこそが、若草の元祖(?)でした。
というのも不昧公お好みの菓子と言われていたが、公の没後は製法が分からくなっていたそうです。それを彩雲堂初代が復元に成功したとのこと。
名前の通り春の和菓子で、不昧公の詠まれた「曇るぞよ 雨ふらぬうち 摘んでおけ 栂尾の山の 春の若草」から命名されたそうです。
利休の時代にはこんな華やかで口当たり柔らかなお菓子はなかったでしょうし、江戸時代の発達はすごいですね。

松江にはマンホールカード貰うためだけに少しだけ立ち寄ったので観光はほとんどしてないのですが、松江と言えばかつて茶道を習っていた私からすると、不昧公お膝元でお茶が有名な場所ですよね。
松江城下ではとにかくなんでも「不昧公お好み」と書いておけば売れるという・・・(笑)。
※不昧公とは松江藩7代藩主松平治郷のこと。大名茶人として有名。風流人。
そして不昧公三大名菓という特に彼お好みの菓子があったらしく、それが「菜種の里」「若草」「山川」というものだそうです。
その中でもたぶん一番有名なのが若草。土産物店にもいろんな和菓子店の若草を見ました。
どこの店のものが最も格式あるのかとか調べる余裕もなく、なんなら松江でもなく出雲の駅ナカ物産展で、帰路に就く直前にせっかくだからやっぱり買っておこうと適当に選んだのがこちら。(失礼)
彩雲堂さんのものです。
若草がどんな菓子かよく知らないまま、実家で実食。
鮮やかな緑が美しい、四角い棒状のものというのはどこの土産物屋で売られていたものでも一致していて、でも中身の想像が出来ませんでした。
食べてみると驚き、中はかなり柔らかめの求肥でふんわりもっちりで食べやすい!
外側の緑色のボソボソは着色した寒梅粉らしく、食感の対比も良いです。
甘さもちょうどよく、とても美味しかった!
でも娘二人はあまり好きではないようで、一口食べてもう要らないと言いました(笑)。
後から調べてみると、この彩雲堂さんこそが、若草の元祖(?)でした。
というのも不昧公お好みの菓子と言われていたが、公の没後は製法が分からくなっていたそうです。それを彩雲堂初代が復元に成功したとのこと。
名前の通り春の和菓子で、不昧公の詠まれた「曇るぞよ 雨ふらぬうち 摘んでおけ 栂尾の山の 春の若草」から命名されたそうです。
利休の時代にはこんな華やかで口当たり柔らかなお菓子はなかったでしょうし、江戸時代の発達はすごいですね。
PR
この記事へのコメント