ドリログ
ドリンクブログ、略してドリログ!! ここでは緑茶から紅茶、コーヒー、お酒、カクテルまで画像付きで紹介していきます。
一杯のお茶からの考察
このブログを始めた頃は毎日更新が目標だったのに、最近忙しくてロクにお茶も出来てません。そんなのタダの言い訳なんだけど。
だから書くことないのでつらつらと脳内ログでも。
お茶一杯から大胆なことを考えてみようかと思う。西洋のティーパーティーはご婦人たちが喋りたいためにできたもの。人が寄り集まることが目的でお茶はそれに供されるだけのもの。音楽を聞いても良いし立っても良いし、基本的には人の邪魔にならなければ至って自由(詳しく知ってるわけではないけど)。
対して日本の茶会は、もちろん始めは人が集まるために生まれたようなものだけれど完成した茶道はどちらかというとお茶を目的に参加者が集う形式を取る。お茶がメインだから人には厳格にしきたりがある。
これは裏を返せば、西洋が古代よりの都市化で人間主導の考え方に徹しているのに反して、日本(東洋)ではいわゆる昔より自然主義の姿勢を取っているからではないだろうか。
引いては、それはつまり人が世界を統べる一神教の世界と身の回りの全てのものには神が宿っているとする多神教の世界の違いなのかもしれない。
ものの考え方とはその生活全てに影響を与える。逆に言えば、一杯のお茶から世界が見えるんだということ。
だから書くことないのでつらつらと脳内ログでも。
お茶一杯から大胆なことを考えてみようかと思う。西洋のティーパーティーはご婦人たちが喋りたいためにできたもの。人が寄り集まることが目的でお茶はそれに供されるだけのもの。音楽を聞いても良いし立っても良いし、基本的には人の邪魔にならなければ至って自由(詳しく知ってるわけではないけど)。
対して日本の茶会は、もちろん始めは人が集まるために生まれたようなものだけれど完成した茶道はどちらかというとお茶を目的に参加者が集う形式を取る。お茶がメインだから人には厳格にしきたりがある。
これは裏を返せば、西洋が古代よりの都市化で人間主導の考え方に徹しているのに反して、日本(東洋)ではいわゆる昔より自然主義の姿勢を取っているからではないだろうか。
引いては、それはつまり人が世界を統べる一神教の世界と身の回りの全てのものには神が宿っているとする多神教の世界の違いなのかもしれない。
ものの考え方とはその生活全てに影響を与える。逆に言えば、一杯のお茶から世界が見えるんだということ。
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